石塚ミュージカルのあらまし

◆どこにでもある暮らしをテーマにオリジナルな作品づくり
 石塚克彦のミュージカルは、「ふるさときゃらばん」時代(1983年~2009年)および「新生ふるきゃら」時代(2010年~2015年)の32年間にわたって上演され、全国47都道府県の約1,200自治体において、4,752ステージが巡演され、のべ観客動員は4,306,000人にも及びます。この精力的な上演活動により、それまでミュージカルとは無縁だと思われていた農村地域の人たちやサラリーマンの人たちからの大きな支持を集め、愛されてきました。それまでの西洋文化に根差した翻訳ミュージカルに比較して、日本土着の生活感あふれる庶民派ミュージカルとして、"足のみじかいミュージカル"(山田洋次監督評)または"等身大のミュージカル"(松本伸夫毎日編集委員評)など と評され、広く親しまれてきました。
 石塚ミュージカルは、1970~2015年の間に約60本の作品があります。すべてがオリジナルで、その出発はカントリーミュージカルです。その発端は日本列島改造の頃、日本における最もシャープな問題を取りあげようと、石塚は当時進行中であった巨大開発の現場・陸奥の下北半島に出かけて、生々しい話を取材し、面白くて話題性のあるドラマになるだろうと確信しました。しかし、ミュージカルを上演しようとする地域は巨大開発などとは無縁の過疎化に悩む村。下北半島の巨大開発をめぐるスキャンダル的な事件は都会では話題になっても、田舎においては単なるお話にしかすぎなくなってしまいます。そこで取材をやり直し、日本のどこにでもあるふつうの町や村に目を向けて、どこにでもある日本人の暮らしの中に「開発と人々の接点」を求め、ドラマを構想し直しました。そうやって生み出されたのがミュージカル「ふるさと」です。これは、松竹映画・山田洋次監督「同胞」(1975年)でも劇中劇として使われています。

◆「自分は制作部の下僕となって作品を創るのだ!」
 次作のミュージカル「おっ母さん」は、わが街・ふるさとを愛し生きて行こうという人々を描き、群馬県では70市町村のうち43市町村で公演を成立させるなど、ローカル線の各駅停車のような公演となりました。そんな地域の人々と直接に顔を合わせながら公演を成立させていく制作部(営業)の意見を集めながら制作されたのが、ミュージカル「兄んちゃん」でした。その後の石塚の作品づくりは、作家個人の発想などからではなく、現場に密着する制作メンバーの意見をもとに、地域の暮らしや人々への取材に基づいた作品づくりを行っていくことになるのです。そうした作品づくりへの思いは、「兄ちゃん」のパンフレットの中で「ふるさとの山や川、街並みや集落や田畑は、単になつかしいだけの風物ではなく、時代とともに生き変ぼうし、軋んでいます。商品価値を求めて田畑の作物が変わり、人々の生活形態が変化していく・・・。そんな生きているふるさとで劇場をつくり、軋んでいる鮮血のほとばしるようなふるさとから作品を生みだしたい」と綴られています。
 当時制作部は、担当地に数人でアパートやマンションを借り、居住付きの事務所として仕事をしていました。石塚は当時、「自分は制作部の下僕となって作品を創るのだ」と、彼らと一緒になって泊まり込み、現地への取材を行い、作品のテーマや登場人物のモデルなどを選び出し、まさに人々の暮らしの中から作品を創り出していました。

◆「土着性」「草の根的活力」「本物」・・・唯一無二のミュージカルへの評価
 その作品と新聞評を3本紹介します。
 MUSICAL「親父と嫁さん」は、ふるさときゃらばん旗揚げの作品。都市近郊の農村地帯が都市化の波にさらされて農業ができなくなっていく。そんな中で「農業生き残り戦争」を宣言した、おかしな男の物語。
『読売新聞』の「編集手帳」から……「土着性、草の根的活力に求められよう、それが300回以上の地方公演を支えてきた。幕が下りる。何度もアンコールの声があがった。複数の人が舞台に花束を贈る。この演目が芸術祭賞を受けた。」

 MUSICAL「ムラは3・3・7拍子」は、日本一周キャラバン公演の作品。ムラの選挙は政治と人生と祭りのごった煮のようなもの。地域や家庭の中で母ちゃんたちが持ち前のバイタリティによって、悲喜こもごもを飲み込んで明るく弾むように立ち回っていくムラの物語。
『朝日新聞』福岡版のコラム欄から……日本農村の生産と生活を描いたミュージカル。翻訳ミュージカルでは味わえぬ「本当の日本」をふるさときゃらばんに見る。日本のミュージカルは、この劇団の出現で"本物"になったと断じていいだろう。

 サラリーマンミュージカル「ユーAh!マイSUN社員」は、ふるきゃら初のサラリーマンもの。職場で精一杯働きながらも報われないサラリーマンが、家庭でも報われず、あげくに家族がバラバラになっていく。そして家族一人ひとりが新しい人生を求めたとき、突然お互いの姿が見えてくる。サラリーマン家庭の崩壊と再生の物語。
『日経新聞』の「春秋欄」より……人気のサラリーマンミュージカルを見た。出世の遅れた大手鉄鋼メーカー課長のつかの間の成功と挫折、それに家庭の崩壊。都内で5万人の観客を集めたというから、身につまされる思いで観た人も多いのではないか。
 上記の「親父と嫁さん」「ムラは3・3・7拍子」は地方からの視点で創造した作品で、それを「カントリーミュージカル」と呼ばれ、一方「ユーAh!マイSUN社員」は大都市や企業社会を舞台にした「サラリーマンミュージカル」と呼ばれて、ともに親しまれました。当初どちらも劇場には足を運ばないといわれていた客層を正面から扱った作品です。
石塚が、地域の屋台骨を背負う40代、50代の親父を狙うべく、農村の親父たちを取材して創った「親父と嫁さん」は大変好評を博し、全国巡演となった。都市ではサラリーマンが主人公のミュージカルを上演。劇場にはネクタイ姿の人たちも多く、話題となった。NHKで舞台中継された作品は計14本で、1劇団の中継としてはダントツに数多くの作品を取り上げていただきました。こうして石塚の作品は、1965年から2015年まで実に半世紀にわたり全国津々浦々の人たちの息吹きにふれながら上演されてきました。町づくりや町に生きる人びとを励ましながら全国を巡回してきた、日本に、いや世界に唯一無二のミュージカル劇団でもありました。

きみは棚田のスゴさを見たか!
 棚田はコメを主食とする日本人が、山間部の地形につくりあげた美しい「日本の原風景」である。石塚は全国の公演地で出会った消えゆく棚田の美しさ、その機能と価値について、日本中の人々にその存在を知ってもらいたいと「全国棚田サミット」のスタートに尽力した。

1995 年 第1 回全国棚田(千枚田)サミット(2017年:第23回長崎県波佐見町/2018年:第24回長野県小谷村)
     全国棚田(千枚田)連絡協議会発足・棚田フォトコンテスト・写真集『棚田』(講談社)
1997 年 長野県の棚田全調査の記録『信州の棚田ものがたり』(石塚企画)
1998 年 棚田おもしろ体験ブック『棚田はエライ』刊行(ふるさときゃらばん企画・農文協)
1999 年 棚田学会設立(多分野から棚田を研究する学者に呼びかけて発足。設立以来ふるさときゃらばんが事務局)
★日本の原風景体験展シリーズ(1999年~2006年/日本橋三越本店を会場に行われ、通算40万人を集客した)
 〇1999 年「棚田パノラマ体験展」
 〇2000 年 「ふるさとの水と土体験展」
 〇2001 年「森はエライ!森の不思議体験展」
 〇2003 年「大地の恵み 里山の豊かさ体験展」
 〇2004 年「アジアの原風景・棚田体験展」
 〇2006 年「生きている地球・日本列島」
PDFパンフレット(5.37MB)